日々のらせんα

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9/13 森 達也

私の信用している大人で、森達也さんという人がいるのだけど、今、その人の「世界が完全に思考停止する前に」という本を読んでる。すっごくおもしろくて納得した文章があったので載せてみます。
この本は、グローバル化、メディアの発展により、民衆の想像力が乏しくなっていて、思考の麻痺が進んでいることを書いてるエッセイ?、もう15年くらい前に書かれたものなんだけど、もう今なんて手遅れなんじゃないかなと思うくらい、その状況は顕著に現れてるんじゃないかと思います。

まず話題は9.11、アメリカの報復攻撃からはじまる。そしてその前に起こった阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件、北朝鮮の脅威と日本自衛隊の現地派遣とからめて言及されてゆくのだけど、
「北朝鮮へのこの過剰な脅威を僕らが抱く理由は、八年前にさかのぼることができる。立て続けに起きた阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件だ。この二つが、僕たちのセキュリティ意識を大きく揺さぶった。なぜなら震災は防ぎようがない。どれほどに文明が爛熟しようが、自然のちょっとした身震いで人はこれほどにあっさりと死ぬ。その虚無の深淵を覗きかけた直後に、狙いすましたように地下鉄サリン事件が起きた。
日本社会にとってのオウム事件の本質は、事件そのものよりも、事件以降の時間の経過にある。
なぜなら地下鉄にサリンを撒いて不特定多数を殺傷しようとしたその動機が、実のところは未だによくわからないからだ。〜中略〜
ぽっかりと空いた余白に、メディアは邪悪や凶暴などの語彙を必死にはめこんだが、でもそれで落ち着くはずがない。だからこそ、オウムに対しての過剰な憎悪は継続した。
この不安と焦燥が、ゆっくりとその後の日本社会を内側から変えていった。当然だろう。夜道を歩いていて後ろからいきなり背中を刺されたとして、その刺された理由がわからなければ、人はもう安心はできない。その理由がいつまでも明確にならないのなら、同じ道を歩くときには多くの仲間を呼びたくなるし(共同体の結束)、大きな強い存在に守ってもらいたくなるし(管理統制国家への希求)、身を守るためにナイフを買い求め
(軍備増強への傾斜)たくなる。〜中略〜
不安はますます亢進し、自分が集団の構成員であることを強く実感したくなり、共同体内部の異物探しと排除が始まる。こうして「何を考えているかわからない」宗教集団や触法少年、精神障害者への嫌悪と恐怖は増大し、犯罪加害者への憎悪は掻き立てられ、その帰結として、厳罰主義が我が世の春を迎える。
でもまだ、ひとりで夜道は歩けない。他者を疎外し排除することの後ろめたさは、報復されることの恐怖へと輪廻する。背中の傷が時おりうずく。ならばやられる前にやるしかない。結束をより強く実感する方法は、誰もが憎悪できる仮想敵を、共同体外部に見つけることなのだ。」
・・・長くなっちゃった。
今この本読んで思っているのは、見える、手に取るようにわかってしまう(今のメディア)ってことは想像力が欠落していくということなのだ!!見えることによって、他者の立場や感情を想像することをやめて、わかったふりをしてしまってる私達。心にとめて置かなくては。。

奇しくも、この文章を読んだのが9月11日だった。
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